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    京都サンガF.C.

    出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

    Football pictogram.svg
    京都サンガF.C.
    原語表記 京都サンガF.C.
    愛称 京都サンガ
    クラブカラー      パープル
    創設年 1922年
    所属リーグ Jリーグ
    所属ディビジョン J1
    ホームタウン 京都府京都市
    ホームスタジアム
    Nishikyogoku stadium20080809A.jpg
    京都市西京極総合運動公園陸上競技場兼球技場
    収容人数 20,389
    運営法人 株式会社京都パープルサンガ
    代表者 今井浩志
    監督 加藤久
    公式サイト 公式サイト
       サッカークラブPJ

    京都サンガF.C.(きょうとサンガエフシー、Kyoto Sanga FC)は、日本京都市にホームを置く、日本プロサッカーリーグ(Jリーグ)に加盟するプロサッカークラブ。

    目次

    [編集] 歴史

    [編集] 1922年 - 1995年(発足からJFL時代)

    前身は1922年設立の京都紫光クラブ(設立時の名称は紫郊クラブ)でJリーグ所属のチームとしては日本最古。1993年に「教育研究社FC京都パープルサンガ」(翌1994年に京都の練習生を中心に結成した「教育研究社FC」を分離)とアマチュアの「京都紫光クラブ」に分割した。

    同じく1993年には日本初のプロサッカーリーグ・Jリーグが開幕し、日本中が空前のJリーグブームに沸き上がった。その中で「京都にもJリーグチームを」という声が高まり、「京都にJリーグを市民の会」が約25万人の署名を集めた。それを受け、翌1994年1月に京セラ任天堂を中心とした地元企業出資による運営会社「株式会社京セラパープルサンガ」設立。同年7月[1]にはJリーグ準会員の承認を受け、京都をホームタウンとするJリーグチーム誕生の準備が整った。翌1995年シーズンのJFLで2位となり、1996年シーズンからのJリーグ昇格が決定した。

    [編集] 1996年 - 2000年(Jリーグ1年目から1度目の降格)

    Jリーグ参入にあたって大野俊三佐藤慶明といったJリーグ経験者を補強し、満を持して迎えた1996年の開幕戦。当時黄金時代を迎えていたヴェルディ川崎と対戦し1-0で敗れはしたものの、試合内容は将来への期待を抱かせるものだった。しかし期待とは裏腹にチームは次々と負けを重ね、1stステージにおいては全ての対戦相手に敗戦を喫するというシーズン開幕後17連敗という不名誉な記録を作ってしまい、オスカー監督もシーズン途中で解任された。この出来事はNHKクローズアップ現代で取り上げられた。

    そんなチームを救うべく、5月にはラモス瑠偉がV川崎から電撃移籍。後を追うように移籍してきたV川崎の藤吉信次山口貴之とともにチームを活気づけ、後半戦は8勝7敗と勝ち越した。

    1997年ペドロ・ローシャ監督を招聘し心機一転をはかったが、カポネクレーベルの両外国人選手が期待はずれに終わり、追い討ちをかけるように精神的支柱だったラモスが退団してチームは空中分解。最下位こそまぬがれたものの順位以上に寂しさの残るシーズンとなった。西田吉洋日本代表候補に選ばれたことが唯一の明るいニュースだったと言える。

    1998年は、元日本代表監督のオフトを監督に迎え、さらには森保一岩本輝雄山田隆裕黒崎久志といった日本代表経験者を次々と獲得し話題となった。しかし派手な補強とは裏腹に、相変わらずチームは下位に低迷。オフト監督も6月には早々と退任した。清水秀彦監督体制で迎えた2ndステージこそ勝ち越したが、横浜フリューゲルスの消滅でようやくJ1参入決定戦をまぬがれるという有様だった。

    1999年は1stステージこそ低迷したが、元日本代表監督の加茂周を監督に迎え、クロアチア帰りの三浦知良を獲得した2ndステージは9位と、Jリーグ昇格後初の1桁順位となった。

    しかし、2000年は年間成績が16チーム中15位となり、J2に降格した。これは他チームから有力選手を獲得して、クラブとしての完成度の欠ける強化を図っていたツケとも言える。

    [編集] 2001年 - 2004年(1年でのJ1昇格とつかの間の黄金時代)

    このことを契機に強化手法を変え、若手主体のチーム作りに転換する。そのことが功を奏し、2001年シーズンは黒部光昭松井大輔朴智星といった若い力が台頭しJ2で優勝し、1年でのJ1復帰を果たした。黒部はこの年に30得点を挙げ、J2得点ランキング第2位となった。

    再びJ1で戦うこととなった2002年は、開幕直後こそ4連敗するものの、エンゲルス監督のもと、黒部をはじめとする前述の3選手に加えて平井直人角田誠といった下部組織出身の選手も活躍。リーグ戦年間順位5位となる。そして天皇杯では10冠を目前とした鹿島アントラーズを破り、関西圏のチームにJリーグ発足後初のタイトルをもたらした。

    しかし、黄金時代は長くは続かなかった。チームの攻撃の要だった朴智星を失った2003年シーズンは大黒柱黒部光昭の故障に始まり、朴智星の後釜として期待された韓国のファンタジスタ高宗秀は全くの期待はずれと、昨年の躍進ぶりが嘘のように勝ち星をあげられず、若い松井大輔一人ではこの局面を打開できずエンゲルス監督、そして後任のピム監督も早々と解任されるなどチームは迷走した。結局、年間成績で最下位となり、2度目のJ2降格が決定した。

    1年でJ1昇格を目標として迎えた2004年シーズンはジェフ市原から崔龍洙を獲得。西村昭宏を監督に迎え、黒部・松井も残留し昇格は間違いなしというのが大方の予想だった。しかし、序盤戦から勝利に恵まれず、西村監督は途中で解任。その後、地元京都出身の柱谷幸一を監督に迎えるも、黒部が怪我がちで満足に活躍できなかったこともあり5位に終わった。

    [編集] 2005年 - 2007年(昇格・降格の連続)

    2005年シーズンは柱谷監督が続投。星大輔米田兼一郎加藤大志といったライバルチームの主力を獲得し、パウリーニョアレモンの両外国人助っ人が得点を量産し、圧倒的な強さで序盤から首位を独走。7試合を残して2位以内を確定させ、2シーズンぶりのJ1復帰が決定した。第39節には通算2回目の優勝を決め、最終節に勝利すれば、2004年の川崎フロンターレに次いでシーズン勝点100以上を達成となったが、1-2でヴァンフォーレ甲府に敗れ、達成には至らなかった。

    2006年シーズンはJ2ダントツの得点力、J2最小失点の堅守を見せ、3年ぶりのJ1では奮起が期待された。だがシーズン開幕から波に乗り切れず下位に低迷。シーズン中に角田誠手島和希(ともに復帰)らを補強するも降格圏内を彷徨っていた。10月にはついに柱谷幸一監督が成績不振を理由に解任され、美濃部直彦ヘッドコーチが新監督に就任した。しかし、3バックを採用するなどのテコ入れをはかった美濃部体制でも悪い流れを変えることはできなかった。11月26日にはガンバ大阪に敗れ、18位(最下位)が決まり、J2降格が決定した。J1からJ2へ3度降格したのは史上最多である。

    2007年2月からはクラブの正式名称が京都パープルサンガから京都サンガF.C.に、愛称が京都サンガになる(ただしクラブの法人としての社名は変更せず、現在も株式会社京都パープルサンガのまま)。これに併せて新しいエンブレムも制定された。2006年にJ1ワーストの74失点を喫したディフェンスを立て直すため、名古屋から元日本代表DF秋田豊清水エスパルスから森岡隆三を獲得。さらにヴァンフォーレ甲府から倉貫一毅を、アビスパ福岡から平島崇を獲得した。主力も軒並み残留し、1年でのJ1復帰を目指すシーズンとなった。開幕から大きな連勝はしないものの1度の連敗もなく安定して勝ち点を積み重ね、第44節終了時点で暫定3位と昇格圏内につけていた。しかし、10月13日に突然美濃部監督の解任と加藤久総監督の監督就任が発表された。その後、最終節まで自動昇格の可能性を残していたものの、3位でシーズンを終えた。サンフレッチェ広島とのJ1・J2入れ替え戦の結果、J1復帰を決めた。その結果、J1昇格もあり、当初は残り試合に限定された暫定監督扱いとして就任した加藤久総監督の留任も決定した。

    [編集] 2008年 - 2010年(J1定着へ)

    2008年シーズンは前回の昇格時の反省を踏まえ、積極的な補強を敢行した。柏レイソルからGK水谷雄一ガンバ大阪から9シーズンぶりの京都復帰となるDFシジクレイFC東京からレンタル移籍でDF増嶋竜也ジェフユナイテッド市原・千葉からMF佐藤勇人鹿島アントラーズからFW柳沢敦と、各ポジションで実力者を獲得し、2年ぶりのJ1に臨んだ。シーズン途中にも、ディフェンス安定のためにガンバ大阪からDF水本裕貴、怪我で長期離脱(登録抹消)したFWパウリーニョの穴を埋めるため、清水エスパルスからFWフェルナンジーニョを獲得した。その大型補強もあり、第33節(11月30日)の大宮アルディージャ戦に引き分け、J1残留という最低限の目標を達成した。最終節には敗れたものの、14位でシーズンを終えた。

    2009年シーズンも積極的な補強を行い、北京五輪代表豊田陽平東京ヴェルディディエゴ韓国代表李正秀などの実力者を獲得。また、レンタル移籍だった増嶋竜也を完全移籍で獲得した。また、前年怪我でシーズン途中に登録抹消されたパウリーニョも復帰し、2年連続のJ1に臨んだ。しかし、主力に怪我人が相次ぎ、パウリーニョがシーズン途中で退団しブラジルに帰国するなどメンバーに苦しんだ。第33節(11月28日)の浦和レッドダイヤモンズ戦に勝利し、残り1試合を残してJ1残留を決め、同時にJ1通算100勝を達成し、12位でシーズンを終えた。

    2010年シーズンは1999年にJ2が発足して以来、クラブ初の3年連続でのJ1となる。

    [編集] 今後の展望

    今後の課題としては、J1での活躍は勿論の事、クラブとしてだけでなく、地元・京都との関係の再構築が挙げられる。かつて柱谷元監督は、退任時に地元はじめ周囲の冷淡さを皮肉って「京都人は一流を好む」という談話を残して去っていった。このような現状にクラブとしても手をこまねいていたわけではなく、サッカースクール開催や京都まつりを始め、京都市内各行政区における区民まつり(行政区によっては名称が異なる)への選手の参加、京の台所・錦市場での新ユニフォーム発表会などを行うなど、地域密着への努力を続けたことで、2008年シーズンでは比較的に天候にも恵まれ、また最終的にJ1に残留したことから、1試合辺りの平均観客動員数は13000人超(鴨池での主催試合を入れて)を記録。しかし、2009年はシーズンパスや入場料の値上げ、新型インフルエンザの流行や天候不順、成績低迷などの要素が大きく響き、1試合の平均観客動員数は11000人超に留まった。2008年以降は地元企業などとのキャンペーン企画も数多く行っている。また西京極競技場の場外エリアをフレンズスクエアと称して観客の再入場を可能にし、飲食屋台の出店やイベントを行うなど、観客動員増加のために様々な取り組みをしている。

    マスコミの注目・アピール度の面では、地元紙の京都新聞が試合前日ないしは前々日に予想フォーメーションや試合予想、監督談話や選手のコメントをスポーツ欄の内1面を使用して掲載している。また地元独立系放送局のKBS京都でJリーグ全クラブで唯一、ホーム全試合を地上波で中継している。スカパーの中継においても京都サンガに縁の深い解説者やピッチレポーターを送り込んでいる。以前は在阪スポーツ紙のサッカー欄での扱いも、他の関西所属チームに押され良くは無かったが、柳沢の加入や宮吉の登場以後、改善へ向かっている。

    ホームスタジアムの西京極陸上競技場は陸上競技用のトラックがあるため、フィールドと観客席が遠く、観客席の傾斜が緩くピッチが見難いなど構造上の問題を有し、また敷地の狭さからこれ以上の拡張が難しいため、兼ねてから専用スタジアムの建設が熱望されてきた。しかし、当初検討された京都市横大路運動公園の敷地利用計画は、交通アクセスや建設予算他の問題から、2006年6月26日、「サッカースタジアム検討委員会」が「整備は困難」と最終報告書を公表。今後は西京極陸上競技場の改修を軸に検討が進むこととなった。

    2006年・2007年にはJリーグクラブの収支報告によって、収入の広告費依存が非常に大きいことが明らかになり、スポンサー各社に支えられて高給選手を維持できているのが現状といえる。2006年の全収入中63%を広告費に依存しているというのは川崎と並んでJリーグの中で突出しており、1観客数あたりの広告費は川崎を大きく超えている。この改善のために2009年シーズンにチケットの値上げを敢行した。これについて、クラブの収入構造を変えていくためにはやむを得ないという説明が、シーズン前のサポーターカンファレンスの中でなされた。他に、向日市「みやびの森サッカースタジアム」構想もあったが、これも進展がないままである。

    下部組織(育成組織)としては、中学年代のU-15・高校年代のU-18が存在しており、数多くの選手を輩出している。以前は専用練習場や照明設備も無く、選手は近隣の太陽が丘などを使用していたため、柱谷元監督がサンフレッチェ広島のユースチームと地元高校の連携を例に挙げて育成組織の改善をクラブ幹部に熱意を持って訴えた。その結果、スカラーアスリートプロジェクトという日本で他に類を見ない、産の京セラ、学の立命館、民の京都サンガが手を組み、世界に通用する優れた人材を育成する計画が実現されることとなった。これは、高校年代の生徒が勉学は立命館宇治高校で、サッカーの練習はサンガタウン城陽にある育成組織専用の照明を完備した人工芝グラウンドで行い、京都サンガが建設した寮で生活するというもの。学費は立命館が、寮費・食費は京都サンガが全面的に負担する。2006年度からそのプロジェクトが始まり、初めてスカラー生が3年生になった2008年度はトップ昇格はなかったが、全員が立命館大学に進学した。2009年度は東京ヴェルディや名古屋グランパスの下部組織で実績を積んだ菅澤大我をU-18の新監督に迎えている。

    [編集] クラブ名の変遷

    なお、サンガとはサンスクリット語で「仲間・群れ」を表す(samgha)。ちなみに漢字では僧伽(そうぎゃ)と書き、後に現在でのへと変化した。京都光クラブのパープルとサンガを組み合わせて京都パープルサンガというチーム名がつけられた。

    [編集] ホームスタジアム

    [編集] 練習場

    [編集] マスコットキャラクター

    パーサくんコトノちゃん。共に鳳凰と不死鳥をモチーフとしている。

    [編集] 成績

    [編集] 年度別成績と歴代監督

    年度 所属






    順位
    (チーム数)
    ナビスコ杯 天皇杯 他公式戦 監督 総監督・GM
    1992年 旧JFL2部 18 37 11 3 4 39 17 22 2位 (10) - 1回戦敗退 - 日本の旗 来栖孝治:1991.2-1992.12 -
    1993年 旧JFL1部 18 - 2 16 - 20 52 -32 10位 (10) 予選敗退 日本の旗 高間武:1993.2-12
    1994年 旧JFL 30 - 20 10 - 63 47 16 5位 (16) ベスト8 日本の旗 嶋谷征四郎:1994.2-9
    日本の旗 与那城ジョージ(代行):1994.9-12
    1995年 30 70 23 7 - 74 38 36 2位 (16) 1回戦敗退 ブラジルの旗 オスカー
    1995.2-1996.6
    1996年 J 30 24 8 22 - 22 54 -32 16位 (16) 予選リーグ敗退 ベスト8 - 日本の旗 松本育夫GM
    1996.2-1999.6
    日本の旗 与那嶺ジョージ(代行):1999.6-12
    1997年 J 1st 16 18 6 10 - 19 32 -13 13位 14位
    (17)
    予選リーグ敗退 4回戦敗退 - ウルグアイの旗 ペドロ・ローシャ
    1997.2-12
    J 2nd 16 9 3 13 - 21 38 -17 16位
    1998年 J 1st 17 16 6 11 - 20 33 -13 15位 13位
    (18)
    予選リーグ敗退 3回戦敗退 - オランダの旗 ハンス・オフト:1998.2-6
    日本の旗 清水秀彦
    1998.6-1999.6
    J 2nd 17 23 9 8 - 27 30 -3 11位
    1999年 J1 1st 15 12 4 11 0 18 28 -10 14位 12位
    (16)
    2回戦敗退 4回戦敗退 -
    J1 2nd 15 19 7 8 0 20 30 -10 9位 日本の旗 加茂周
    1999.7-2000.6
    -
    2000年 J1 1st 15 7 2 12 1 16 36 -20 16位 15位
    (16)
    ベスト4 3回戦敗退 -
    J1 2nd 15 18 6 8 1 23 30 -7 12位 ドイツの旗 ゲルト・エンゲルス
    2000.6-2003.6
    日本の旗 木村文治
    2000.6-2004.6
    監督代行
    1999.6-7
    2003.6-7
    2003.11-12
    2001年 J2 44 84 28 11 5 79 48 31 優勝 (12) 1回戦敗退 4回戦敗退 -
    2002年 J1 1st 15 24 9 5 1 26 18 8 6位 5位
    (16)
    予選リーグ敗退 優勝 -
    J1 2nd 15 22 8 7 0 18 24 -6 7位
    2003年 J1 1st 15 10 3 11 1 14 34 -20 16位 16位
    (16)
    予選リーグ敗退 3回戦敗退 スーパーカップ 準優勝
    J1 2nd 15 13 3 8 4 14 26 -12 14位 オランダの旗 ピム:2003.7-11
    2004年 J2 44 69 19 13 12 65 53 12 5位 (12) - 4回戦敗退 - 日本の旗 西村昭宏:2004.2-6
    日本の旗 柱谷幸一
    2004.6-2006.10
    -
    2005年 J2 44 97 30 7 7 89 40 49 優勝 (12) - 4回戦敗退 -
    2006年 J1 34 22 4 20 10 38 74 -36 18位 (18) 予選リーグ敗退 4回戦敗退 -
    日本の旗 美濃部直彦
    2006.10-2007.10
    2007年 J2 48 86 24 10 14 80 59 21 3位 (13) - 3回戦敗退 入替戦 昇格 日本の旗 加藤久:2007.6-10
    日本の旗 加藤久
    2007.10-
    -
    2008年 J1 34 41 11 15 8 37 46 -9 14位 (18) 予選リーグ敗退 5回戦敗退 -
    2009年 J1 34 41 11 15 8 35 47 -12 12位 (18) 予選リーグ敗退 3回戦敗退 -
    2010年 J1 34 -位 (18)
    通算 J1 317 - 100 184 34 368 580 -212
    J2 180 - 101 41 38 313 200 113

    [編集] 記録

    [編集] 年度別観客動員記録

    • リーグ戦のみ

         平均
         J1
         J2

    年度 試合 総数 1試合
    平均
    1996年 15 141,061 9,404
    1997年 16 126,093 7,881
    1998年 17 136,253 8,015
    1999年 15 132,887 8,859
    2000年 15 108,797 7,253
    2001年 22 83,777 3,808
    2002年 15 155,276 10,352
    2003年 15 162,751 10,850
    2004年 22 171,764 7,807
    2005年 22 172,846 7,857
    2006年 17 166,280 9,781
    2007年 24 159,105 6,629
    2008年 17 232,671 13,687
    2009年 17 189,149 11,126

    [編集] サンガ在籍 ランキング

     リーグ戦 年度別得点ランキング
    年度 1位 得点 2位 得点
    1996年 エジミウソン 4 松橋力蔵 他2名 3
    1997年 武田修宏 9 ダニエル 7
    1998年 黒崎比差支 13 エジミウソン 12
    1999年 シーラス 6 パウロ・マギノ 6
    2000年 三浦知良 17 遠藤保仁熱田眞 5
    2001年 黒部光昭 30 上野優作 10
    2002年 黒部光昭 13 朴智星鈴木慎吾 7
    2003年 黒部光昭 10 町田忠道 4
    2004年 崔龍洙 20 黒部光昭 9
    2005年 パウリーニョ 22 アレモン 15
    2006年 パウリーニョ 14 アンドレ中払大介 3
    2007年 パウリーニョ 24 アンドレ 15
    2008年 柳沢敦 14 田原豊 5
    2009年 ディエゴ 9 李正秀、パウリーニョ 5
     通算ゴール数 ベスト10
    順位 選手 得点 在籍期間
    1 パウリーニョ 66 2005-2009
    2 黒部光昭 62 2000-2004
    3 田原豊 32 2002-2008
    4 三浦知良 21 1999-2000
    5 中払大介 20 2002-2007
    崔龍洙 20 2004
    7 アンドレ 18 2006-2007
    柳沢敦 18 2008-
    9 アレモン 17 2005-2006
    10 黒崎比差支 16 1998-1999
    エジミウソン 16 1996, 1998
    松井大輔 16 2000-2004
     通算出場試合数 ベスト10
    順位 選手 試合数 在籍期間
    1 手島和希 242 1999-2005, 2006-2009
    2 平井直人 208 1997-
    3 斉藤大介 202 1999-2008
    4 中払大介 183 2002-2007
    5 野口裕司 176 1996-2002
    6 角田誠 167 2000-2003, 2006-
    7 鈴木和裕 147 2001-2006
    8 田原豊 144 2002-2008
    9 渡邉大剛 141 2003-
    10 黒部光昭 138 2000-2004


    •      リーグ得点王
    •      J2所属
    • 太字は、現所属選手

    [編集] 獲得タイトル

    [編集] 国内タイトル

    [編集] 個人別タイトル

    Jリーグ

    [編集] エピソード

    [編集] Jリーグ初の試合中止

    1996年8月14日、ナビスコカップ・対柏レイソル戦(大分市営陸上競技場=京都の主催ゲーム)が台風のため中止となった。雨天でも原則として試合が行われるJリーグにおいて、公式戦が中止となった初めてのケースである。Jリーグの試合中止例も参照。

    [編集] 他クラブのホームスタジアムでホームゲーム

    その柏戦の代替試合は1996年8月24日に開催されたが、本来ガンバ大阪のホームスタジアムである万博記念競技場を使用した。当時は本来のホームスタジアムである西京極が芝生の張替え工事のために使用できなかったため、やむを得ずG大阪の許可を得て万博で開催することになったものである。

    同様の事例に1994年6月11日横浜マリノスvs横浜フリューゲルス戦の横浜ダービー平塚競技場=ベルマーレ平塚のホームスタジアム)がある。

    [編集] 横浜フリューゲルスとの縁

    1998年に横浜フリューゲルスが消滅した際、選手6人・コーチ1人・スタッフ1人が京都へ移籍している。それ以前からフリューゲルス出身選手が3人いたため、1999年開幕時点の京都には実に11人ものフリューゲルス出身コーチ・選手・スタッフが所属していた。同時期にフリューゲルスから本来の合併相手である横浜F・マリノスに移籍した選手は6人であり、「どっちが『F』なのか分からない」とからかう向きもあった。こういった背景も手伝い、京都サポーターには元フリューゲルスサポーターも少なからずいる.

    ちなみに、フリューゲルスは1998年10月にマリノスとの合併が公になった後、その後の公式戦で全勝し、最後の公式戦である天皇杯決勝にも勝利して有終の美を飾ったが、合併が発表される直前のリーグ戦では京都と対戦しており、2-3のスコアで敗れている(1998年10月24日・鹿児島県立鴨池運動公園陸上競技場)。つまり、フリューゲルスが公式戦で最後に負けた相手が京都である。

    1999年、京都に所属していたフリューゲルスOBのコーチ・選手

    ☆で示した選手は、フリューゲルス消滅前から京都に所属していた選手。

    それから4年が経過した2003年元日、京都は天皇杯優勝という初めてのタイトルを手にした。その時に監督を務めていたのはフリューゲルス最後の監督であり、フリューゲルスにとって最後の公式戦だった1999年元日の天皇杯決勝でチームを勝利に導き、天皇杯優勝という有終の美を飾ったゲルト・エンゲルスだった。

    [編集] アビスパ福岡との縁

    アビスパ福岡とは4度同時に昇格・降格を経験している。ちなみにJ2降格が決定した時の相手が3回中2回はガンバ大阪である。

    • 1992年 - JFL2部 → 旧JFL1部
    • 1995年 - JFL → Jリーグ
    • 2005年 - J2 → J1
    • 2006年 - J1 → J2

    また、J2在籍時、前年度にアビスパ福岡に所属していた選手を獲得した年に昇格をしている。

    [編集] ベガルタ仙台との縁

    ベガルタ仙台ブランメル仙台時代を含める)とは、主にJ1(2部制移行前のJリーグを含む)昇格を巡ってさまざまな出来事があった。

    • 1995年 - 旧JFL第28節、京都が仙台に勝利し、初のJリーグ昇格を決めた。
    • 2001年 - J2第44節、仙台が京都に勝利し、初のJ1昇格を決めた。
    • 2005年 - 直接の対戦では無いがJ2第44節の京都対ヴァンフォーレ甲府戦で甲府が勝利したため、勝ち点の差で仙台はJ1昇格を逃す。
    • 2007年 - J2第47節の直接対決、勝った京都がJ1昇格の可能性を残す3位以上を確定、負けた仙台の4位以下が確定。

    [編集] 1年間同じメンバー

    初めてのJ2となった2001年3月10日の開幕から11月18日の最終戦まで選手の途中入団・退団が無かった。

    ただ、この年に入団した元ポーランド代表ピオトル・ソーヴィシュは選手登録抹消こそされていないもののシーズン途中に帰国しており、実質的な「途中退団」はあった。

    [編集] 五山送り火との兼ね合い

    毎年8月16日には京都の夏の風物詩・大文字五山送り火が行われる。当日はネオンや照明灯などの灯火を自粛するよう京都市から呼びかけが行われるため、京都のホームゲームが重複する際は以下のような対応がとられた。

    1997年の場合

    Jリーグ2ndステージ・第5節の日程が8月16日に組まれたが、京都vs横浜M戦に限っては1日早く8月15日に19時から西京極で開催された。先制するも逆転され、京都 1-4 横浜Mで敗戦。

    2007年の場合

    Jリーグディビジョン2・第34節が8月16日に開催されたが、京都vs札幌戦(西京極)では17時20分キックオフの薄暮開催となった。結果、京都 2-3 札幌とまたも逆転され敗戦。

    [編集] 守備放棄事件

    詳細は「大分トリニータ#守備放棄事件」を参照

    [編集] ユニフォーム

    ユニフォームの色
    カラー シャツ パンツ ストッキング
    FP(1st)
    FP(2nd)
    GK(1st)
    GK(2nd)
    GK(3rd)
    Team colours Team colours Team colours
    Team colours
    Team colours
     
    FP 1st
    Team colours Team colours Team colours
    Team colours
    Team colours
     
    FP 2nd
    Team colours Team colours Team colours
    Team colours
    Team colours
     
    GK 1st
    Team colours Team colours Team colours
    Team colours
    Team colours
     
    GK 2nd
    Team colours Team colours Team colours
    Team colours
    Team colours
     
    GK 3rd

    [編集] チームカラー

         紫色(パープル:赤紫色)

    [編集] ユニフォームスポンサー

    掲出箇所 スポンサー名 表記 掲出年 備考
    京セラ 京セラ 1994年 - 1994年は「Kyocera」と表記
    背中 任天堂 任天堂 1994年 -
    京都銀行 京都銀行 2007年 -
    パンツ 大和証券 大和証券 2002年 -

    [編集] トレーニングウェア

    [編集] 歴代ユニフォームスポンサー年表

    年度 背中 パンツ サプライヤー
    リーグ戦 カップ戦
    1994年 Kyocera - 任天堂 - PUMA
    1995年 京セラ - 任天堂 - PUMA
    1996年 京セラ Wacoal 任天堂 - PUMA Mizuno
    1997年 京セラ Wacoal 任天堂 - UMBRO
    1998年 京セラ Wacoal 任天堂 - UMBRO
    1999年 京セラ Wacoal 任天堂 - UMBRO
    2000年 京セラ Wacoal 任天堂 - UMBRO
    2001年 京セラ Wacoal 任天堂 - UMBRO
    2002年 京セラ Wacoal 任天堂 大和証券 UMBRO
    2003年 京セラ Wacoal 任天堂 大和証券 Mizuno
    2004年 京セラ Wacoal 任天堂 大和証券 Mizuno
    2005年 京セラ Wacoal 任天堂 大和証券 Mizuno
    2006年 京セラ Wacoal 任天堂 大和証券 Mizuno
    2007年 京セラ 京都銀行 任天堂 大和証券 Wacoal (CW-X)
    2008年 京セラ 京都銀行 任天堂 大和証券 Wacoal (CW-X)
    2009年 京セラ 京都銀行 任天堂 大和証券 Wacoal (CW-X)
    2010年 京セラ 京都銀行 任天堂 大和証券 Wacoal (CW-X)

    [編集] 応援番組

    KBS京都(テレビ)
    KBS京都(ラジオ)
    NHK京都

    [編集] 脚注

    [ヘルプ]
    1. ^ 同チームは1993年9月に準会員申請をしたが、ホームスタジアムの整備などに問題があったため、11月の実行委員会・理事会では承認されず保留扱いとなっていた。その後1994年のシーズン中に再審査を行い承認されたものである

    [編集] 関連項目

    [編集] 外部リンク

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